私は無宗教ですので、特定の神様はありませんが、宗教観はあります。イエス様もお釈迦様も大好きです。もし、現代にイエス様、お釈迦様が現れたら「正しいのは私でお前は間違えている」と言われ、争われるのでしょうか?今、瀕死の状態でいる地球を救うには共に手を取り合い助け合うことが、大切だと言ってくれると思うのですが。

人種、民族、国境、宗教すべてを越え、我欲を捨て、助け合うことが、今、人類に求められているのではないでしょうか?人類が一つになることで、破壊的な未来から地球と人間は救われるのではないでしょうか?2000年問題の時と同じように、20012年の心配もクリアーできるのではないでしょうか。

お釈迦様が大変善いことを言われています。

先日読んだお釈迦様の絵本の中に書かれていたことをご紹介致します。


■正しく 見る(正見:しょうけん)

ものを正しく見るには、わが身をつねって、人の痛さを知ることです。相手の立場を考え、自分を見ることから始まります。

自分中心にして、ものを見ると片寄った考えや、我欲がでて、正しい判断ができません。争いの火種はすべて片寄った考え方からおこります。

 

■正しく 思う(正思:しょうし)

正しくない思い方は、怒り、愚痴、そねみ、独善、足ることを知らぬ欲望から生まれます。

学校の試験で、友達が合格し自分が落ちたりすると、怒りや愚痴、そねみの思いがわいてきます。こうした心を持ち続けると病気、災難、争いを生み、人や自分が嫌になってきます。

心はいつも明るく、自由に公平に、試験に落ちた原因を、静かに省みて、何で落ちたか、反省することが大事なことです。

正しい思いはゆったりとした、余裕のある、片寄らない、心から生まれます。

 

■正しく 語る(正語:しょうご)

心はいつも平静でなければなりません。

威張ったり、恐れたり、騒いだり、高ぶったりしていると、話す言葉も素直に伝わりません。言葉は物事の考えや、意思を伝える大事な役目をし、こちらの気持ちが、正しく伝わらないと誤解、不信、恨みをかったりします。

正しい言葉は幼子のような素直な屈託のない心しかありません。

 

■正しく 仕事をする(正業:しょうぎょう)

仕事の目的は、心を開き、魂を豊かにすることです。

社会の調和を図り、奉仕の喜びを感謝することです。この世の中は一人では生きられません。みんなが輪になり、助け合い、補い合い、許しあって生きています。

人の物を横取りし、悲しませたりすると、自分もそうされます。

世の中の混乱は、人はどうでも、自分さえよければという考え方きています。仕事は様々な人生の経験を積むためであり、苦楽を学んでいく大事な修行場です。

みんなが輪になり、心を1つにすれば世界は平和になります。人生のあり方と、仕事の目的をしっかり身に付けましょう。

 

■正しく 生活する(正命:しょうみょう)

正しい生活は長所を伸ばし、短所を直すことです。

短気、わがまま、独りよがり、でしゃばり、引っ込み思案、頑固、あきやすい、気まぐれ、愚図、気取り、嘘つき。人にはいろいろな欠点があります。

欠点を放っておくと、人に嫌われ、孤独になります。

欠点は自己本位が原因です。正しい生活をするには、つねに反省をし、自己中心から離れて物に片寄らない、生活をすることです。

 

■正しく 道に精進する(正進:しょうじん)

人の道は慈悲の心と愛の行為です。

私達は両親の愛、兄弟の協力、隣人、友人の助け合いの中で生活しています。両親を敬い、兄弟仲良く、隣近所を大切にすることは、感謝の表れです。

感謝報恩のない人は亡びます。私達は魂を磨くために生まれてきたのですから、こうした協力者に感謝しながら助け合って行かなければなりません。

 

大自然は調和しています。心はいつもそれに

合わせ生かされている恵みに報恩を持って応えましょう。

人を悪く言う前に自分を見ましょう。不平、不満は神様の慈悲と無限の恵みを忘れた心です。

 

■正しく 念ずる(正念:しょうねん)

この世の中は人の念でできています。

あれが欲しい、こうしたいという心がいろいろな物を作り出しています。世の中には人々の役立つものもあれば、滅ぼすものもあります。

正しい念は人に役立つものです。それには神様に心を合わせ、祈る心を忘れず欲望をつのらせてはなりません。

いつも中道の心を忘れずに正しく生きることです。

 

■正しく じょうにはいる(正定:しょうじょう)

正しい反省は心を高め神様に通じます。

今日一日の生活を振り返り友達や両親、兄弟を困らせたりはしなかったか。もし、困らせたり、自分だけ楽をしようとしていたとすれば、そうした心はどうして生じたのか。

反省はこうした心の動き、行いについて右にも、左にも片寄らない慈悲と愛の、神物差しを持って自分を眺めることなのです。

そうして今日一日、正しく見たか、正しく思ったか、正しく語ったかということを反省してゆきます。誤りがあれば神様に詫び、二度と繰り返さぬことです。

反省は心をきれいにし、きれいな心で生活することです。